特に書くべきことがない。
夏から続いていたクリエイションが終わって、年末までは静かだ。
こんなに必要とされないままでいいのだろうかと思いながらも、もがいたところで何が変わるわけでもないのでこの状況に腰を据えてみることにする。
ちょっとした怪我をして一週間ほど歩けなくなったり、考えた末に苦しい結論を出したり、そして多くのことにがっかりしたりしながら11月を迎えた。
仕事をしたり、掃除をしたり、ケーキを焼いたり、体の勉強をしたり、そのあいまに少しずつ読む量が増えてきた。読みたい本を読んでいるからだ。いつもは手元にある少ない本の中から選択するしかないが、それだと「今これを読んでいていいのだろうか」という気持ちが湧き上がってくる。「本当に今読みたいのはこれか」と「そんなふわふわした気持ちで本なんかに時間を費やしていいのか」が混ざった気持ち。余計な思いが浮かばないうちに読み終えられたらいいのだけれど遅読ゆえそうもいかない。でも今は、いま読みたい、と思う本を読んでいるので気持ちがぶれない。
10月からこちら、『現代思想 パレスチナ-イスラエル問題 2018年』に続いて『記憶/物語』、『ガザに地下鉄が走る日』と岡真理の著書を続けて読んでいる。
夏にヴェルダン(第一次世界大戦の塹壕戦跡のある場所)に行ったのち、世界が大きな大戦を続けて二回も起こしたことの理由や影響について知り直そうとしていたけれど、第二次世界大戦以後のことを「戦後」などとナイーブに考えていた自分に愕然とするばかり。
岡真理さんの本には中東で起きていることだけではなく、人であることを奪われるとはどういうことか、それにわたしたちはどう向き合うことができるのか、ということについて書かれている。
知ることは大事かもしれないけれど、いっぽうで本など読んでる場合なのかという気持ちも強くある。
私は本なんか読んで、何をしようとしているんだろう。
自分の頭の中がまとまったからといって、それをことばによって誰かに伝えるつもりもない。それなのになぜ読んでる。