1月1日
私の体調が復活したら次はSが発熱。いつもこの順番。私が風邪を持ち込んで相手にうついるのか潜伏期間の違いによるものなのかはわからない。
あたたかくしてご飯もしっかり食べたので、今日は最低限のことだけしようと思う。少しは本も読みたい。そういえば小さなころは本を読むことに罪悪感があってこっそり読んでいたけれど、今も本を読むのは自分ひとりでの楽しみでしかないという気がして罪悪感がある。楽しくて好きなことをして過ごすべきだとは思っているのだけれど、ためらいなしに好きなことをするのが憚られるくらいには、すべきことをしていない感覚が絶えずあるのだろう。自分だけのために費やす時間を心から楽しめるようになりたい。
新年、新しい本に手をつけようかなとも思ったけれど、やはり読みかけのものをしっかり読み切りたいから『謎のアジア納豆』を手に取る。大豆の根は窒素固定をするので稲の周りに植えられていたとか、江戸後期まで日本人は納豆を汁の形で食べていた…つまり他のアジア納豆と同じように「ダシ」的な使われ方をしていたとか、肉や魚が豊富に穫れる地域では納豆生産が盛んではなかったとか…すこぶる面白い。高野秀行氏の本はどれも全部すごく面白くてわくわくする。
1月2日
Sが完全にダウン。
おじやとかお味噌汁を運ぶ。チャイやスイートポテトも。あとで豆腐のデザートも作ってあげよう。
明日は私が一日仕事で出かけてしまうのでボルシチを作っておく。ボルシチと言っても豚肉と野菜のスープだ。ビーツが入っているから赤いというだけ。
『特捜部Qー檻の中の女』を読了。
ヨイヨルさんが面白く読まれている様子だったので読んだ。
主人公のキャラクターも良く刑事バディものとしても楽しいのだけど、監禁や拷問のシーンは神経が削られる。気づくと奥歯を噛み締めていたりする。頼むから助け出されて幸せになるラストであってくれよ、と祈る。
それにしても、人は罪を犯してしまうことがあるけれど、それに対してどんな罰が過剰で、どういうものなら釣り合うのか、考え込んでしまう。
(この先ネタバレ)
狂気的復讐に家族全員が力を貸すというのはちょっと現実的ではないんでないか?と思ったのと、ラストが感動的に締めくくられているけれど、ここまで身体/精神ともに長期間痛めつけられたミレーデが日常を送れるようになるとはちょっと想像ができない。
それから『謎のアジア納豆』を読了。
初読の時に日本以外に納豆を食べている人たちがこんなにいるなんて!しかも日本の納豆よりこんなに種類も使い方も豊富なのか…とびっくりしたが、今回は納豆のダシ/調味料としての性格の広さに強く興味を惹かれながら読んだ。
考えてみたら豆の発酵食品であるのに醤油や味噌、豆豉とは別物、独立した食品としてしか見ていなかった。
起源としては「うっかりできてしまった」ところから始まったのではないかという記述があって、自分でも納豆を作ってみたくなる。出来の度合いによって汁に入れたりサラダに入れたりと使い分ければ良いというのも適材適所っぽくていい。
タンパク質として料理に豆を使いたいと思うことがあるが、毎回ふやかして茹でる工程を考えると気軽に使えない。そういう時のために納豆を作り置きしておくのはいいかもしれない。フランスでも納豆食べたさに自作する人はたくさんいて、ひよこ豆と無花果の葉っぱで作ったよなんてよく聞く話なのだった。
うちは温度/雑菌管理が不安なのでヨーグルト製造機なるものを手に入れてみようかな。無花果の葉っぱは売るほどあるし。
1月4日
昨日は朝から自転車で転ぶ。
地面が白く凍り、ほんのり粉雪の舞う中、初仕事わーい!と張り切って自転車に乗った。RERの最寄り駅までは自転車で20分くらい。ずっと下り坂なので楽ちん。
大通りの入口でブレーキをかけたところあっという間にタイヤが滑って綺麗に自転車が飛んでいった。自転車が消えた場所に腹ばいの形で着地。無意識だったのだけれど車道に自転車が滑り出さないようにハンドルを握りっぱなしだったせいか、肩が半分外れてしまった。肩をもぞもぞしたらうまくはまってくれたし握力もありそうなので引き続き自転車に乗ろうとしたらハンドルもペダルも歪んで漕ぐことができない。思考停止したまま、とにかく遅刻だけはいかん、と自転車にまたがりずるずると坂を下りる。
しばらくは漕がずとも惰性で降りて行けるがRERの駅まで行くのは不可能だ。時間的にも間に合わないし、この坂道もいつかは終わってしまう。それにこの不安定な自転車で大通りを越えるのは危険すぎる。パリは自転車は車道の端っこを走るからただでさえ神経をつかうというのに。ちょうどその時道沿いにバスが走っていることを思い出す。そのままずずと滑りつつ、バス停が見えたあたりで自転車を停め鍵をかける。手がうまく動かないので手間取ったが、どうやら間に合いそう…!と走っていったのにあと5mくらいのところでバスが行ってしまった。私のこと見えていたはずなのに、意地悪。次のバスは15分後…ならばなおさらさっきのバスは10秒くらい待ってくれたってよかったのでは?お正月で道も空いてるのだし。ケチすぎる。地図を睨みながら最寄りのメトロまで歩くことにした。
歩きながら体を診断する。手の重みが肩にかかると痛いし、可動範囲が限られている。膝も擦りむいている…もしかしたら水くらいたまるかもしれない。その日の指圧のお客さんは3人とも大柄なのでこの体でやり遂げられるか心配になる。電車の中でも本を読む余裕がなかったほど。
結局はまったく遅刻もせず、肩が脱臼したことも悟られずに仕事をこなすことができた。
帰りには道の途中に置き去りにした自転車をひきとり、ちゃりちゃり引きずって帰った。ハンドルは曲がってしまったし後輪が歪んでしまったのかもしれず、去年の5月にも自転車を壊したことを思い出して、ごめんね…と悲しくなっていたが、家に帰ってSに見せたらハンドルは接続部分から回転しただけ、ペダルが踏めなかったのはギアが外れていただけでさほど修理の必要もなかった。よかった。
2026年の教訓、雪の日に自転車に乗るのはやめよう。
『すべての、白いものたちの』読了。
『砂糖の歴史』を同時に読みながら、白いものの神聖さについて考えていた。
ドレスデンに行った時に見た、空襲で粉々になったけれど市民が破片を集めて再建した教会のことも思い出していた。そういえばドイツは、戦後、自国の傷を嘆くことがなかなかできなかったのではないか。
そんなことを考えていた。
45分くらいで一気に読み通した。
1月5日
おせち料理を作れないのでいつもとあまり変わらないごはんなのだけれど、年越しそばをしたりお餅を食べたり、美味しいお茶を飲んだりしてほんのすこしだけ特別感を出す。
昨日は牛肉をブロックに切ったものに香味野菜をあえてタルタルを意識したものを作った。生姜やセロリの葉(塩もみして)、梅をたたいたもの、紫玉ねぎ、本当は紫蘇とかみょうがとかがほしいが無いのであるものいろいろ。オリーブオイル、レモン汁、醤油、梅酢、柚子胡椒などでドレッシングを作って混ぜ合わせるだけ。
『土 地球最後のナゾ~100億人を養う土壌を求めて〜』読了。
土の色が土地によって違うこと、土にも酸性やアルカリ性があるくらいのことは知っていたが、世界中の土は「土」というだいたい同じものなんだと思っていた。
うちの庭の土壌の性質はどんなものなんだろう。樫の大生産地である友人の村は?夏に訪れた火山地帯は?以前行ったアイスランドは?カンボジアは?
実際に訪れた場所の土のことが気になってきた。
14時すぎからはらはらと雪が舞っていたみたいだけど、16時を過ぎてから本格的に積もってきた。すっかり景色が真っ白。
1月7日
朝起きたらさらに雪が降っていて驚いた。こんなに雪が積もったのはひさしぶりだな。積雪4cmくらいだろうか。この程度でも生活は変わる。白馬で毎日雪かきをしたのを思い出す。
『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 上』
聞き慣れない名前であるのも手伝って最初人物を把握するためにノートをとったが、進行が親切なので登場人物で混乱することはなかった。
こういう探偵ものにはよくあることなのかもしれないけど(007とかもそうだし)男女間のあれこれをわざわざ書くのは伝統なんだろうか。別に邪魔になっているとも思わないけれど、必要なのかなとは考えてしまう。
『檻の中の女』に続き女性を虐待する描写が多くて少し胸が重たい。社会的弱者として実際に被害に遭う割合が多いためなのは理解しつつも、事件としても描きやすいみたいなところがあったりするんじゃないか、というようなことを考える。
1月8日
ミーティングは先方が風邪をひいているために延期。この時期風邪でダウンしている人が多い。
気温が高く雨も降ったので道路の雪はほとんどとけている。庭はまだらに白い感じ。雪景色が終わってすこしだけさみしい。
1月11日
分かっているような気がしていたが実は取り違えていたかもしれない。知覚できている範囲内のことしか見えないし、その中でしか判断できない。まだ見えていない広大なその向こうのことを「きっとそういうものがあるし、私はそこがあるという前提で手前のことを考えようとしている」といくら言ったって、それこそただの机上の空論なのかもしれない。
振り返ると、行き詰まった時にする行動や考え方をしていた。あまりにも身に染みていたから気づかなかったけれど、もうこの先に以前だったら希望していたことが、あれもこれも選択肢から消えているんだという前提で手放している。だからどんな時間も無駄であり、どんな行動も虚しい。そのくせその空洞が怖いから何をしていても今はこれではないんじゃないかと考えて集中することもできない。
数年かけて少しは責任を持って立つことができるようになってきたと思っていたのに、あの場所まで逃げることへのハードルが低くなっている。楽だから。なんて怠惰な人間だろう。
今年は胸の沸き立つようなことを持たないといけない。理性ではその虚無みたいなことから身を引き剥がせないから。
1月13日
本を読むための部屋は、りすや鳥のようにすっぽり包まれるくらい小さな部屋がいいな。木を深くくりぬいたみたいな。ふと本から目をあげると緑が見える明るい窓と小さな本棚、何時間沈んでも体が痛くならない椅子、柔らかくあたたかい敷物とひざ掛け、窓に時々小鳥が来るなら最高だ。
audibleで『丕緒の鳥』『ババヤガの夜』『ガダラの豚』読了。
『ババヤガの夜』、悪くて強い人に、強くなさそうに見える人が圧倒的に勝つ話は痛快でいい。あるシーンでがらっと見方が変わった。
中島らもは読んでいると時々町田康かな?と感じる部分がある、朗読者の大阪弁の感じも手伝ってのことだろうと思う。
1月14日
子どもの頃からテレビで見ていた有名人がこのところ次々と世を去ってゆくけれど、今日の知らせはことのほか胸がぽっかりする。ラジオも好きだったな。
SNSの反応を見ていると賛否両論あって、でもそういうところもその人らしいという気がした。今はすべて潔白で影のないことが好ましいとされているけれど全然つっつく場所がない人じゃなくても私は別にいい。好きな部分と相容れない部分が同時にあっていい。相容れない部分にもその人の筋が通っているのが見えるような生き方をしているならば、そこに敬意を抱くことになる。人となりにせよ、その人が作ったものでも、同じことだ。
『イスラーム精肉店』を読み始めた。
僕は傷と傷が出会うなんていう甘ったるいメロドラマは好きじゃない。(p49)
「坊主、あんまり憎んでやるな。いまこの世に生きている人間のうち、百年後にも息をしている者などひとりもいない。俺たちはみんな、この美しい天地と愛する人を置いて、ここを去らねばならない存在だ。」(p99)
年始からおおぼけをかましましたが、やっと(日記が)新年を迎えてめでたいです。
4月の、25℃の気温の夕方に。



