8月27日
『ヒトラーとナチ・ドイツ』を読み終えた。
この夏ヴェルダンの西部戦線跡地を訪ねたこともあり世界大戦を少しでも理解したいと思って手に取った本。
第一次世界大戦であれだけ悲惨な体験をしたヨーロッパがなぜもう一度大きな大戦に突入することになったのかを少し理解できた。複雑に絡み合った各国/人物の利害や思惑がわかりやすく整理されていたので自分の中で筋道が通ったかんじ。
今はこの筋道を理解として刻みつけたい気持ちと、この筋道をもう一度ほぐされるような文献にも当たりたい気持ちとが両方ある。
読み終えてみてそもそも第一次世界大戦のことをあまり良く理解していなかったこともわかった。何故敗戦国のドイツがここまでの制裁を受けたのかもうろおぼえ(その国内の状態がナチの受け皿になった)なので、そのあたりも繋げておきたい。
この後ドイツがいかにして国際社会の中で信用を取り戻そうとしたか、EUにつながる流れまで。
8月28日
言葉にしたくなかったことを、でもあえて言葉にしてみた。
自分の胸の内ですらそんな風にはっきりさせたくなかったから胸が痛みながらではあったけれど、濃い霧のように肺全体を侵食させているよりはましかもしれないと思った。
こういう時に日記はいいね。
自分に何ができるのかが分からないなあとずっと思っている。
好きなことはあるし続けてきたことはあるけれど、それは誰かの役に立ちそうにないし誰かにとって価値が出そうなことでもないし、自分の身を助けるほどのことにもならなかった。
8月29日
「どうせ私の言う事など聞いてくれない」ということが自分にとって負担だから、という理由で、相手に自分の言うことを聞かせたいとは思わない。
負担に感じていることがあればそれはそれで解決すべきであって、感情的になって双方を混ぜてしまってはいけない。
なぜならそうすることで目的から遠ざかってしまうから。
目的に沿った道のりの間で喧嘩をしたり嫌な思いをさせることは致し方ないけれど、不用意に逸れた脇道でやりあっている暇はない。
切羽詰まって甘えている余裕がないと、そこらへんは早いな。
もう一度『現代思想入門』を読みはじめる。
作者の千葉雅也さんの言葉はTwitter上でもそうだけれど、明快で分かりやすく、ちょうどよい色合い、するりと口に入って心地よい杏仁豆腐のような感触がする。
考え抜きながらも、感覚を閉じずにユーモアを持って語る方なんだろうなという印象を持っている。
言葉やシステムで整理し、速くたどり着かないと生活が成り立たないからそっちもするとともに、言葉ならぬというか、言い尽くせぬ、ただそこにあるまるごと、感覚的なことと言えば良いのか体に直接触れることと言えば良いのか、そういうことの間のことについて第一章を読みながら考える。
先日見た福岡伸一の動的平衡の動画を見た時に考えたことと混ぜつつ。
心地よく順序立てられ、飲み込みやすい言葉で語られるとつるつると入ってきて、うんうんそうだ、分かるわかる、と読めてしまうのだが、ある時いきなり「あれっ」と引っかかる箇所がある(多分第4章くらいから)。
そこから先に進めず、ちょっと時間を置いてまた最初からつるつるをもう三度くらい繰り返している。
この本を読もうと思ったのは、哲学や思想に興味はあるけれど、固有名詞や専門用語が出てくるとよく分からなくて読み飛ばさざるを得ず、それをそろそろ解消しておきたいなと思ったというのもある。
今回は読み通したい…と思うがもしかしたら今の知識の限界がそこにあるのかもしれない。せめていったん見極めたい。