11月21日
人に会っても前みたいに朗らかでいられなくて、話し始めはなめらかにすべってゆくのだけれどだんだん頭の中がぎしぎしと詰まってゆき、口にのぼる言葉をそのきしみが「いや違う」と否定して、遮る。ひとつひとつの言葉にぶらさがり、重たくさせる。頑なになっている。正確になにかを言おうとしすぎる。そんな風にいっぺんの曇りもないようなことを誰も求めていないのに。
けれど昨日は気を楽にして話せたかもしれない。
ひとめ見た時から警戒しないでいられる人がいるが、そのひとがそうで、話しているうちに「昔からの友だちみたいだね」と言ってくれたことが胸があたたかくさせた。
バリケードを築かないでも大丈夫なひとはひとめでわかる。小さな頃は瞳の深さに秘密があると思っていた。そういうひとは奥のおくの方から世界を見ている。木陰の静かな湖みたいに。わたしもその深さをまっすぐ進んでゆける。
昨日はいま困っていることを話せたことが、よかった。
11月22日
積んできたものが霧散してしまったような気がすることがあるが、その時そのときで考え抜いて選んだ行動の末にあることなので、それで良いのだった。
楽なことを選ぼうと思えばいくらでもそうできたけれど、それでは寝覚めが悪かった。ひとつちいさくため息をついて、いばらの道でもしゃーなし、という感じで踏み出したのだから、なんとかするさ。
とはいえ、そのおかげでシンプルになった。
簡単だと思いこんでいたことは実は複雑であり、難しいと思っていたことは解いてみれば何てこともなかった。その複雑さは取り組み甲斐のあることでもあり、何てこともなかったことでずいぶんと身軽になった。このままの目で見つめていさえすればルールは単純。心に背かなければ良い。
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なんのために本を読んだり言葉を学んでいるのか時々わからなくなる。楽しいから自分の研究のためだけにずっと続けることはもちろんできる。できるけれど、ずっと閉じてそれをし続けるのはいくら人間関係の下手な私にも耐え難いことなのかもしれない。
たぶん私は誰かが新しい世界を発見する瞬間を見たいのだ。
踊りやストレッチを教えるのもそれが目的だし、自分が本を読んだり語学を習得したいと思うのも、そこに繋がっている。
具体的にはどんなことをどんな風に進めたら良いかは分からないままなのだけれど、大事なそのことだけは放さずに握って、もがいてみるしかないな。