少しずつ本を読む集中力がかえってきた。やりはじめたからできるようになった、ただそれだけだと思う。
「こんなことをして何になるんだ」というのは時間に対する焦りだと思う。
とりいそぎ、そのことは考えずに自分が選んだことに体をつっこむ。
パレスチナ問題に関わる本と、感覚が入り交じる物語を交互に読んでいる。その間を10月に読んだ『記憶/物語』が繋いでいるかもしれない。
言葉にしたいのは重大なことがらばかりなのに、その重さに自分のことばは追いつかず、黙っている。
でもそんなことを言ったら、ここに追いつけるだけの言葉ってなんだろう。そんなものあるのか。
かといってすべての言葉を拒否したい気持ちになっているわけでもなく、今はとにかく読んでいる。頭の中がいっぱいになって、口に殺到したわたしのことばは押し合いへし合いしてひとつも外に出られなくなればいいと思っているのかもしれない。読んで、それを言葉で自分に繋ぎ止めなくてもいいように、すぐさま次を読む。頭の中の霧が晴れないうちに、また霧を吹き込む。
黙っているからといってその霧が濃縮されていつか雫になるかもしれない、などと楽天的に考えてもいない。
潜ってゆくのは解体するためだから。