8月30日(稽古メモ)
動きを探っていると、赤ちゃんの時にどんな風にもがいて体の向きを変えたり、重みがかかっている箇所を移動させたり、床に接している面積を増やしたり減らしたりしたか、というところに思考が立ち返る。
私にとってストレッチを含む普段の稽古は体を隅々まで信頼して針の穴を通すくらいの精度で自由になること。
車を運転する人が目で見なくても車幅を知っているように、体の皮膚や器官のそれぞれが空間のどこにあるかを把握し、自分の体を後ろからもミリ単位で見ている感じになる。
デッサンと同じだ。
8月31日
アウトライナーのこと。
しばらくdynalistを使っていたのだけれどworkflowyのミラーコピー機能が自分の使い方には必要なものかもしれないと再度迷い始めている。試行錯誤した末にやっと着地したところだったのにな。まあいい。
SNSと同じで、同じものを使い続けるということに固執せず今は軽やかでいてみる。
カチューシャはうちの子になるのかな?というくらいに入り浸っている。預かっていた時にはひとりでご飯を食べるのも寂しかろうということでうちで食べさせていた。
バカンスが終わった今も余りのカリカリをちょっぴり出していたのだが、いつまでもあげられるわけじゃないのでお水しか出さないことにした。
それなのに、来る。20時間くらいうちにいる。夜もうちで眠っている。
居心地がいいならいてもいいけれど飼い主に心配されないかな。
新しく買ったバスソルトは西洋這松とamyrisというアロマフラワーの香り。きりっと爽やかな松の匂いをほんのりとバニラのような含みが覆う。
私は例えば花でも蜜っぽかったり乳みたいな重みのある香りが好きだが、このごろは針葉樹やユーカリ、レモングラスのようなきりっとした青い香りも好きになってきた。
お風呂に浅く湯をため、耳まで浸かる。耳が空気の中にあるときには聞こえなかった建物の中の音が聞こえる。排水の音や下の階の足音、向かいの道路の車の音。羊水の中はこんな感じかもしれない。お風呂に溜まった湯は建物の体液だ。湯を通じて建物の一部になる。低くたれこめる雲の下で遠い雷鳴が聞こえるみたいに、皮膚の広い範囲に直接音が響いてくる。
指先でそっと耳たぶをなぞると地響きみたいな、太い電流みたいな、マグマが沸騰するみたいな音がする。首や、顔や、頭蓋骨に指を移動させて、音が遠のくのを聞く。
9月5日
本当に読みたい本は紙で読みたいからと購入を我慢していたけれど、この数年日本に帰ることもできず読みたいリストはかさんでゆくばかり、おまけに読むスピードはとことん遅いと来ているので、電子でも読んでいく方向に切り替えることにした。
本棚に並べておきたい気持ちもあったけれどそもそも物質としての物を持つのが得意じゃないのだ。選び抜かれた物を大切に手元に置くことに尽きぬ憧れはあるけれど、ぐずぐずと幻想を追って目の前の大事を逃しては本末転倒。
電子書籍で読む利点もある。軽い内容だと読み上げ機能を使ってながら読みができるし、何度読んでも目が滑るようなちょっと敷居の高い内容なら耳で受け取りつつ目でも追う方法を取って理解をサポートしてもらったり。
iPhoneはバックライトのためにやはり目は疲れる。Kindle以外も読めるようなeinkの端末購入もいずれ考えようか。
カチューシャがうちに入り浸ってくれることに喜んでいたが、なんとノミまで持ち込んでいた。しきりと痒がるので疑っていたが、飼い主の家には幼児がいるので処置はちゃんとしているだろう…と油断した。このバカンスの間に薬が切れていたらしい。
布類を90℃で洗濯し、業務用の吸引力の強い掃除機で考えつく限りの場所を掃除する。布団乾燥機はダニ駆除機能もあるのでそれもかける。
それにしても、飼い主が帰ってきたとはいえカチューシャはぱったりうちに来なくなった。あんなにべったりそばにくっついていたのでちょっと寂しくはある。
最後の日、帰りたがるのでドアを開けてあげたのだけれど躊躇してなかなか出ていかず、私の顔とドアの外とを何度も見比べたり、Sがいる2階をしきりと見上げるのでSも呼んでふたりで見送ろうとしたのだけれど、それでもずっと踏みとどまって何かを言いたげな様子だった。いつもと様子が違うし私たちも急かすようなことをせずしばらくそばにいたが、そのうち意を決したような様子で勢い良く出ていった姿が思い出される。もう来ない、という決意をあの時していたんだろうか、などと想像したりしてしまうが、いや、気まぐれにまた来るに決まっているな。
ノミ駆除のため病院に連れて行かれるらしいのでそれまではどちらにせよ入れてあげない。
清香さんの裏庭日記が毎日届いて嬉しい。
自分が「ニュースレター」を始める時は、レターなんていってもwebでも読めるしブログと大して変わらないのではなんて考えていたけれど、受け取ってみると大きな違いがあるのだった。
裏庭日記で教えてもらったイリナ・グリゴレさんと尹雄大さんの往復書簡の第一回を読んだ。それで興味を持ったので尹雄大さんの著作『体の知性を取り戻す』を購入してみた。
言葉と体の関係についてはとても興味がある。おそらくこの数年でそのあたりのことをテーマに顕されているものも多いが(もしくは私が知らなかっただけでずっとその分野は同じくらい露出していたのかもしれないけれど)読んでみるとなにか自分の肌感覚に合わないというか、私の経験してきた体と言葉の関係はちょっとこうじゃないな(表面上はそうとも言えるんだけど、何かが決定的に違う)と感じるものも多かった。
楽しい読書になるといいな。